感心できない公演(その1)

 出だし数小節の出来によって、演奏の全体の良しあしが決まると書いているコラムに何度か目にしたことがあるが、そのことを実感させられた演奏会に接する機会があった。
 2005年にオープンした兵庫県立芸術文化センターを拠点とする、兵庫芸術文化センター管弦楽団の第19回定期演奏会を聴きに出かけたのは10月18日(土)だったが、指揮者といいオーケストラの安全運転ぶりといい、楽しめない演奏であった。
 前半のベルリオーズの「ハンガリー行進曲」、リストの「ハンガリー狂詩曲第5番」及びシューベルト(リスト編)の「さすらい人幻想曲」については、リストとシューベルトソリストで登場したシプリアン・カツァリスの演奏以外に印象は残っていない。
 後半はグスタフ・マーラー交響曲第4番だが、テンポの変化が安全運転に徹していて面白みに欠けていた。また、フレーズの各楽器間での受け渡しとかがどうもぎこちない。指揮者のケン・シェも平凡としか言いようがない。
 このオーケストラは、オーディションで選ばれた若手演奏家(コアメンバー)、新日本フィル東京都交響楽団などに所属する人たち(プログラムでは「ゲスト・トップ・プレイヤー」)、そして「アソシエイト」または「エキストラ」と呼ばれる演奏家たちの混成である。このオーケストラならでは、という音を造っていくには不利な体制と思うが、指揮がマーラーを得意にする小林研一郎であったなら、とも思うのである。
 最終楽章では幸田浩子のソプラノ独唱が登場するが、出だしの「Wir geniessen〜」の低音がきっちり発声されない時点で「だめだこりゃ」だった。第4節目の出だしでは、とまるのではないかと冷や冷やしたが、現時点での彼女にはこの曲は向いてないのではないか。